平成30年史 平成4(1992)年編

こんにちは。木彫りグマです。

今日は平成30年史 平成4年編です。

平成4年はバブル崩壊がデータの上でも決定的になった年でした。あとから見れば自民党単独政権の末期にあたりますが、当時、そんなことをいう人は誰もいませんでした。歴史の転換点の直前にあった平成4年を振り返ります。

政治の動き

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細川護熙日本新党を結成

細川護熙熊本藩主細川家の子孫で近衛文麿の孫です。細川氏自民党に所属し参議院選挙で当選。その後、熊本県知事に転じて2期8年の任期を全うしました。

1992年に日本新党を結成し、夏の参議院議員選挙で後に東京都知事になる小池百合子ら4名の当選を果たします。細川自身は翌年の衆議院選挙で当選しますが、結党間もない日本新党議席確保は話題になりましたね。

日本新党についてはこちらに詳しいです。

 

PKO協力法の成立

湾岸戦争の際、日本は憲法を理由に多国籍軍自衛隊を派遣しませんでした。その代わりに多額の資金を提供したのですが、同盟国であるアメリカはこの姿勢を批判。「人を出さなければ評価されない」と考えた政府は自衛隊の海外派遣を可能とするPKO協力法を成立させました

 

PKOとは、国連による平和維持活動のこと。国連の決定に基づく人道的な国際救援活動に自衛隊を派遣できるとする法律です。1992年のカンボジアへの派遣を皮切りにルワンダゴラン高原などに自衛隊を派遣しました。詳しくはこちらを参照してください。

 

経済の動き

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複合不況の始まり~バブル崩壊

現在は「バブル崩壊」の言い方の方が浸透していますが、当時のニュースでは「複合不況」という言い方をしていましたね。

今までのように、物が売れなくなったから不況になったというだけではなく、バブルがはじけて銀行の不良債権(払えなくなった借金)問題なども絡み合った複合的な不況だという意味です。

しかし、この不況がこれから10年・20年と続く平成不況へとつながっていくとは夢にも思いませんでした。

カード破産の増加

当時、昔に比べると借金に対する嫌悪感は薄れていたのを感じます。「気軽にクレジット・キャッシング」というフレーズがCMなどで連呼されていました。支払い限度額やそもそもの収入を意識せず、”気軽に”借りまくった人が自己破産に追い込まれていったのです。

 

この時代の世相を良くあらわしているのが宮部みゆきの『火車だとおもいます。ドラマにもなっていますが、個人的には原作がおすすめ。スリリングな展開に読み進めながら息をのみましたね。

 

現代では「銀行カードローン」が問題視されています。時代は、姿をかえつつ同じことを繰り返すのでしょうね。

 

社会の動き

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育児休業の法整備

育児休業とは、出産後、職場での身分や地位を保証したまま一定期間休業できる制度のことです。詳しくは、こちらを参照してください。

 

この制度が定められたことにより、使用者は従業員が満1歳未満の子供のための休業を申し出た時は拒むことができないと定められ、育児休業を取ったことを理由とする解雇もできないとされました。

 

現在は、育児休業期間中は雇用保険から育児休業給付が支給され、健康保険・厚生年金の保険料も免除されます。

 

徐々に働く女性のための仕組みが作らて行きますが、男性中心の会社の意識はまだまだ変わっていない時代だったように思います。

学校週五日制のはじまり

この年から毎月第2土曜日が休みとなりました。1995年からは第2・第4土曜日、2002年以降は完全週休二日制となります。これは諸外国からの「日本人は働きすぎ」との批判に対応するという側面もありました。

 

今では当たり前の制度ですが、導入当初はとても不思議な気分でした。それまでは、午前中は学校。遊ぶのは午後、といった感覚だったのに終日休みが二日続くというのはうれしい半面、どうすればいいのかちょっと持て余していたことを思い出します。

 

きんさん、ぎんさん

 当時のテレビCMで最もよく覚えているのが「きんさん ぎんさん」のCMです。ダスキンのCMで「きんは100歳、ぎんも100歳。ダスキン呼ぶなら100番100番」と双子のおばあちゃんが話しているCMです。これはダスキンの電話番号が「100100」だったことに由来します。

 

「うれしいような、かなしいような」とユーモラスに話す様子は、何とも言えず見ているほうも和んでしまいましたね。ちなみに、きんさんは107歳、ぎんさんは108歳で亡くなっています。

 

さいごに

歴史の転換点というのは、その当時には意識しにくいものです。

 

翌年に自民党が選挙で負けて政権を降りたり、バブルの不況が10年以上も続くことなどこの時に知る由はありませんでした。今は景気が悪くても、時期によくなると多くの人が思っていたように思います。

 

次回は再び激動した平成5年について書かせていただきます。

 

最後まで読んでいただき、ありがとうございました。

ベネズエラに見る新しい“冷戦”の可能性

 

こんにちは。木彫りグマです。

先日、南米のベネズエラに関する気になるニュースを見かけました。

 

2月4日付のCNNのニュース記事です。ベネズエラの首都カラカスで大規模なデモが発生したとの内容でした。また、これに関連してアメリカのトランプ大統領は「軍事介入も辞さない」との姿勢を鮮明化。危機的な状況に入るかもしれません。

 

日本にいると南米はとても遠い国ですが、世界がこれだけ密接にかかわっていると全く影響がないとは言えません。今回は、ベネズエラについて考えてみます。

同じ中南米のメキシコについての記事はこちらです

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ベネズエラの歴史

ベネズエラの基本情報は外務省のHPを基本データとします。

ベネズエラ・ボリバル共和国 | 外務省

 

ベネズエラは人口約3100万人、人口のおよそ半数が混血です。

現在の大統領はマドゥロ氏。最近は物価の高騰、ハイパーインフレで話題になっています。

1.スペインからの独立

コロンブス南北アメリカに到達して以後、南アメリカ大陸の大半はスペインが支配していました。彼らは原住民を追い出し、植民地支配をおこないます。スペイン本国は植民地の富を吸い上げるだけで植民地の人々はその恩恵にあずかれません。

 

そのことを不満に思った現地生まれの白人であるクリオーリョたちを中心にスペインからの独立が企てられました。ナポレオン戦争でスペイン本国が混乱したことをチャンスとし、シモン=ボリバルらがベネズエラの独立を達成します。

 

シモン=ボリバルについてはこちらを参照してください

シモン・ボリバル - Wikipedia

 

2.アメリカのモンロー主義カリブ海政策

アメリカ第五代大統領のモンローはヨーロッパ諸国に対し、「ヨーロッパのことには口を出さない。その代わり、アメリカ大陸のことには口を出すな」という内容のモンロー宣言を出します。

 

これは、アメリカがアメリカ大陸を自分たちの縄張りだと強く意識している証拠だといえるでしょう。独立したラテンアメリカ諸国に対してもアメリカはボスとしてふるまおうとします。

 

20世紀に入ると、カリブ海アメリカのもの」とするカリブ海政策を推進。パン=アメリカ会議を主催するなど、ますます、南北アメリカのボスとしてふるまいます。当時のアメリカ大統領のセオドア=ローズヴェルトは「こん棒を携えて、穏やかに話せ」という力むき出しの外交を展開します。

チャベス政権とマドゥロ政権

冷戦の終わりころの1980年代の末頃、ベネズエラは経済的な危機の中にありました。そんな中、クーデタに二度失敗した男が民衆の支持を得て大統領になります。それがウーゴ=チャベスでした。チャベス政権とその跡を継いだマドゥロ政権についてみてみましょう。

1.チャベス政権の成立

ベネズエラはコーヒーや石油など多くの資源に恵まれた豊かな国です。特に石油は国家の財政を支える柱でした。石油価格が高いときは国の財政も豊かですが、価格が下落すると財政難に陥ります

 

ベネズエラの歴代政権は石油収入に頼りきりで、財政もゆるゆるでした。そのため、1982年には外国に借金を支払えない債務不履行寸前まで追い込まれてしまいます。1980年代の末には石油価格が下落。公共料金の引き上げなどを行いました。

 

それまで、安い公共料金などで貧困層の不満を抑えていたのですが料金値上げで不満が爆発。貧困層の不満を見たチャベス中佐は2度のクーデタを試みますが失敗。1998年の大統領選挙では選挙に勝利して大統領に就任しました。

 

チャベスが大統領に当選できた理由はベネズエラの貧富の差です。石油ビジネスで富を積み上げる人々がいる一方、その恩恵にあずかれない人々は貧困のままだったのです。

チャベス大統領についてはこちらを参考にご覧ください

ウゴ・チャベス - Wikipedia

2.チャベス大統領の反米政策

チャベス大統領はアメリカが中南米を「アメリカの庭」とみなしていることに強く反発していました。同じく反米路線をとるキューバと共同歩調をとり、貧困層向けの無料医療施設を整えます。

 

その一方、地主の土地を収用したり石油公団のコントロールを強めるなど社会主義的な政策も行いました。

 

国際連合での演説では当時のアメリ大統領ブッシュ(子)を「悪魔の子」と8回も非難するなど過激な反米姿勢を示します。冷戦後のアメリカ一強状態への反発は他の南米諸国に広がり、反米の急先鋒とみなされてきました。

3.マドゥロ大統領の就任

チャベス大統領は憲法を改正し再選制限を撤廃します。無期限再選が可能となり長期政権となるかと思われましたが、2013年にガンを患っていることが発覚。闘病むなしくこの世を去りました。

 

チャベスの跡を継いだのが副大統領だったマドゥロ氏です。マドゥロ大統領は基本的にチャベス政権の政策を引き継ぎ、反米・社会主義的な政策を行おうとしています。ところが、世界経済の減速により石油価格が低下。ばらまくお金が無くなりつつあるのです。

 

欧米は2018年に行われた大統領選挙を「いんちきだ」として認めていません。そのため、欧米諸国は今回大統領就任を宣言したグアイド氏を支持しているのです。

なぜ、大国がベネズエラに干渉するのか

ベネズエラは従来、アメリカとの関係が深い国です。そのため、ベネズエラのことにいたずらに口を出せばアメリカとの関係が悪化しかねません。しかし、先日のニュースではロシアや中国がマドゥロ大統領を支持しているといいます。大国がベネズエラに干渉する理由は何でしょうか。

1.ロシアの思惑

ロシアは中南米に影響力を及ぼすチャンスをうかがっています。これは、今に始まったことではなく冷戦時代からそうでした。現在、キューバがロシアと友好的な国ですが、ベネズエラも「敵の敵は味方」の理屈で言うなら友好的関係です。

2.中国の思惑

中国が重視しているのはベネズエラが持つ豊富な石油資源です。中国が今後産業を発展させていくためには今以上に多くの石油資源が必要です。ベネズエラの埋蔵石油は中国にとってかなり魅力的でしょう。

 3.アメリカの思惑

アメリカの大義名分は「自由と民主主義」を守ることです。しかし、アメリカの本音は「かつての権益を取り戻す」ことにあるでしょう。社会主義政権ができてから反米政策がとられ、アメリカ企業のベネズエラでの活動は強い制約を受けています。マドゥロ政権が倒れれば、間違いなくアメリカの利益となるでしょう。

経済をめぐる対立が「新冷戦」になる可能性

ベネズエラに限らず、世界各地でアメリカやヨーロッパなどの従来からの資本主義国とロシアや中国などの新たに台頭した国々との対立が起きています。ロシアのクリミア紛争や中国とアメリカをめぐるファーウェイCEOの逮捕問題など対立が深まっています。

 

大国の「縄張り争い」が戦争につながる危険をはらんでいるのは二つの世界大戦で明らかです。日本人も無関心ではいられないと思います。

 

最後まで読んでいただき、ありがとうございました。

 

戦国大名たちは何故京都を目指したのか

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こんにちは。木彫りグマです。

織田信長上杉謙信武田信玄。数々の有名武将が目指した京都。戦国大名たちは目的があって京の都を目指しました。

今回は何故武将たちが都を目指したかについてわかりやすく解説します。

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地方の自立

室町時代の後半を戦国時代と呼びます。応仁の乱の後、全国各地で身分が下のものが上のものを倒す下克上の動きが盛んになりました。そのうち、実力で地方を支配するものが現れます。戦国大名の登場です。

 

戦国大名は現代でいう都道府県程度の広さを支配し、分国法と呼ばれる独自の法律を制定していました。独自の家臣団も組織して領土の拡大を図ります。当時も室町幕府の将軍はいましたが京都周辺を支配する力しかありません。どうしてそんなに弱くなったのでしょう。 

足利将軍の没落

もともと、室町幕府の将軍の力はあまり強いものではありませんでした。室町時代のはじめに起きた南北朝の争乱の中で、幕府は味方になった大名たちに地方で自立だけの権利を与えてしまったのが原因です。

 

一休さんで有名な足利義満は強いリーダーシップで逆らう大名たちをねじ伏せることができました。しかし、中には6代将軍の足利義教のように、大名を討伐しようとして暗殺される将軍もいました。

 

足利将軍の力が決定的に弱まったのは応仁の乱の後です。将軍家や有力大名の後継争いが京都を中心に11年間も続きました。自分の足元さえまともに治められないとあっては地方の有力大名が幕府のいうことをきかなくなったとしても当然です。

 

応仁の乱以後、室町幕府の力は京都とその周辺にのみ及ぼされる程度でした。13代足利義輝管領細川家の家臣である三好氏の家臣の松永久秀に殺害されてしまいました。将軍ともあろうものが、家臣の家臣のそのまた家臣に殺されるなど前代未聞のこと。将軍の没落は決定的となりました。

 

京都の戦略的価値

戦乱に明け暮れる京都やその周辺地域には、他の地域にはない戦略的価値がありました。一つ目が京都には天皇がいることです。

 

天皇やその周辺にいる公家たちは官職を任命する権利を持っていました。官職は実際の力が伴わない名前だけのものですが、地域を支配する戦国大名が「天皇に〇〇国の支配を認められたぞ!」と言えることは他と比べて有利なことでした。

 

二つ目は、京都が物流の中心で経済的にも豊かだったことです。京都は淀川を通じて大阪湾に通じています。その水運を利用することができたからです。また、高利貸しの土倉や酒屋も多くありました。力を持った商人たちは町衆として京都の自治をおこないます。京都を支配することはその商人たちから税をとれることも意味していました。

 

三つ目は、京都を中心とする近畿地方一帯が経済的に豊かだったことです。現代の私たちは東京中心という状態になれていますが、江戸時代の終わりまで経済の中心は大阪や京都でした。近畿地方を抑えることで強い経済力を手に入れることができたのです。

京都の利点を生かすには軍事力が必要

京都やその周辺は経済的に豊かでしたが、完全に支配するには軍事力が必要でした。というのも、公家や寺社・豪商を黙らせ、支配を認めさせるためには生半可な力ではダメだったからです。

 

その圧倒的な軍事力をもって京都に乗り込んだのが織田信長です。信長は京都を掌握すると、周辺地帯の支配に力を注ぎました。信長の力の前には自治都市の堺も屈服せざるを得なかったのです。

 

信長の支配にあくまで逆らったのが石山本願寺比叡山などの寺社勢力でした。平安時代から僧兵などの武力をもっていた寺社はそう簡単に信長に従おうとしません。そこで信長は比叡山を焼打ちしたり石山本願寺と10年間もの戦争を行ったのです。 

信長の遺産を活用した豊臣秀吉

近畿地方をだいたい平定した信長の遺産を最大限に活用したのが豊臣秀吉でした。秀吉は京都の支配を確実なものとするため、信長の二条城よりもしっかりした聚楽第を築きます。また、京都の南にある伏見に伏見城を築き、しばしば伏見城に滞在しました。

 

伏見は京都と大阪やほかの地域をつなぐ交通の重要拠点。ここに秀吉が居座ることで近畿地方全体ににらみを利かせたのです。

 

また、秀吉は朝廷から関白・太政大臣に任命されます。この位は貴族の最高位で、武士で太政大臣の地位に就くのは平清盛以来のことでした。朝廷の権威を最大限に利用して天下統一を進めようとしたのです。

 

最後に

戦国時代、ひとかどの武力を持つ多くの戦国大名が京都を目指し、志半ばで上洛を果たせませんでした。今川義元桶狭間で信長に敗れました。武田信玄は上洛途中に病でこの世を去ります。上杉謙信は一度は織田軍を破るものの、再度出撃する直前に脳卒中でこの世を去ります。

 

京都に比較的近く、なりふり構わず上洛した信長が最終的には京都を手に入れることができました。大きすぎる価値を持つ京都は、大きな力を持つ信長でなければ制御できなかったのかもしれません。

 

最後まで読んでいただき、ありがとうございました。

インフルエンサー~拡散させる者~

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こんにちは。木彫りグマです。

最近、インフルエンザが流行しているニュースが報道されていますね。

実際、我が家の下の姪っ子が通う幼稚園ではクラスの半分以上が欠席し、学級?閉鎖になりました。

インフルエンザに似た言葉で「インフルエンサー」というのがあります。社会に影響を与え、人を動かす力を持つ人たちのことです。

《影響、感化、効果の意》他に影響力のある人やもののこと。特に、インターネット消費者発信型メディアCGM)において他の消費者に大きな影響を与える人。

一部引用:インフルエンサーとは - コトバンク

今回は、インフルエンサーについて考えてみたいと思います。

 

従来のマス・マーケティング

高度経済成長の時代、人々に商品を広く紹介するのに効果的だった方法は何でしょうか?それは、新聞・ラジオ・テレビといったマスメディアです。

 

多くの人がテレビを視聴し、テレビに登場した商品が話題となって売れると考えてよいでしょう。明治時代でも夏目漱石の『虞美人草』人気にあやかって、三越が販売した「虞美人草浴衣」は大ヒット商品になります。

 

テレビCMは商品イメージと企業イメージの双方を向上させることもあります。高校生の青春を描くことで「爽やかさ」の象徴ともなった大塚製薬ポカリスエットのCMや受験生応援を前面に打ち出したカロリーメイトのCMなども印象深いです。

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高額になりやすいテレビCM

テレビCMの費用は大きく分けると二つ。一つ目はテレビCMの制作費。これは制作会社と広告元が相談して決められます。特定のモデルを使わず、静止画中心のCM(ローカルの深夜によくはいっているようなタイプ)は数万円。タレントなどを使えば、正直な話、相当高額になります。

 

木彫りグマが以前勤めていた会社でテレビCMを出そうとした時、製作費は数万円のものを選択しました。放映時間は15秒。

 

放映する時間帯を決めるパターン、番組に協賛するパターン、CM枠が開いているときに挿入するパターンなどが提示されました。結局、時間帯を決めて放映し、予算が余って枠が開いているときは、その部分に放映するという形になりました。

 

それでも、1シーズン、4週間の放映で100万円程度の予算を計上していたのを覚えています。ローカル企業にとってはなかなかの出費です。

インフルエンサーへの規制

インターネットの普及により、個人が情報発信者として注目される時代になりました。youtuberのうち有名な人はマスメディアにも取り上げられ、出演者としてお茶の間にも登場するようになりました。

 

こういった人物が「これはいい!」といったツイートをすると、たちまちその商品がコンビニから姿を消すと話題になっています。

 

情報発信者の個人が注目される背景の一つは、企業や広告主に必要以上に縛られず「本音」を発信しているとみなされていたからなのかもしれません。いわば、「拡散能力の高い口コミ」として機能していたのでしょう。

 

ところが、最近はインフルエンサーの活動にも制約がつき始めたと思うのです。有名youtuberのアカウントが停止されたのもその一例でしょう。「好きなものを好きなように紹介する」といった自由さだけでは運営することが困難になっているのでしょう。

 

裏を返せば、それだけyoutuberに代表されるインフルエンサーの行動が社会に大きな影響を与えるようになってきたということです。影響が大きいものに規制の網がかかるのは世の常ですからね。

これからは、個人が個人に影響を与え合う時代

情報発信手段は様々なプリの登場によって加速しつつあります。表現手段としてのtiktokもそうでしょうし、従来からあるfacebookTwitterもそうでしょう。ついには、公的人間の頂点であるアメリカ大統領すらTwitterで意見を表明するようになりました。

 

以前は、テレビが子供に悪影響をあたるとか、有害図書は目に触れるところに置くべきではないといったことが盛んに言われていました。現代では、子供たちだけを情報から隔絶させるのは難しいかもしれません。

 

情報を発信する個人と、情報を受け取る個人がそれぞれ、考え判断し行動すべき時代が来たのでしょう。情報リテラシーだ大事になると思います。

情報リテラシーとは、自らの目的を達するために適切に情報を活用することができる基礎的な知識や技能。情報の探索や取得、評価や分析、整理や編集、作成や発信などを行う能力の総体。

引用:情報リテラシーとは - IT用語辞典

かつて、小論文を指導していた時、ネットの記事を丸写ししてきた学生がいました。どう考えても、偏りがある記事だったので検索したところ見事にヒットしました。学生には、「嘘か本当かを調べて見極めるのも能力の一つ」と指導しましたが、学生だけではなくネットを利用するすべての人が注意すべきだと思います。

災害時にはとりわけ大事となります。関連記事はこちら↓

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最後まで読んでいただき、ありがとうございました。

姉妹喧嘩の仲裁 

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こんにちは。木彫りグマです。

 

木彫りグマは以前勤めていた会社を辞めて数年前に青森から函館の実家に出戻りしました。実家は郊外の一軒家。父は既に他界していますが、母は健在です。実家には、すでに妹夫婦が住んでいました。家の一角を自分の部屋とし、今では珍しい複数世帯同居の家族となりました。

 

妹夫婦の子供、つまり姪っ子たちはまだ幼いこともあってよくなついてくれます。ですが、その分、いろいろなトラブルも持ち込んできます。今日はそんな日常風景の一コマから、子供との接し方について考えてみます。

 

発端はいつも些細なこと

子供同士のケンカは些細なことから始まります。「おもちゃをとった」「順番に割り込んだ」「叩いた」などなど、いろいろなことを言ってきます

当事者同士での話し合いが不調に終わると、大人に「訴え」がなされます。

 

互いの話をよくよく聞いていると「そんなことでいちいちケンカするなよぉ」と思うことはしばしばあります。ですが、当の本人たちは自分が正しいと認めてもらうために必死です。

声が大きい方が正しいとは限らない

互いに、自分の主張を熱心に主張るためかだんだんと声が大きくなります。しまいには、相手が話しているのを遮って自分のことを話し出そうとします。

 

ここで、片一方の話だけを聞いてしまうとその後の展開がうまくいきません。ついつい、声が大きい方に耳を傾けがちになりますが、それもいけません。

 

最初の段階でどちらかに加担してしまうと、もう片方は、あとから何を言っても聞き入れなくなってしまいます。感情的になってしまえばけんかの仲裁どころではなくなるのです。ここは、聴く側としては我慢のしどころですね。

「訴え」のルール付けをしよう

大声合戦でらちが明かないと彼女らがわかってきたころ、ルール付けをおこないます。どちらか一方が話しているときは口を挟まないこと。順番に交代で話をすること。だいたい、最初に感情的な部分を発散させるのでこのあたりの指示は聞いてくれます。

 

それでも大声合戦を止めようとしないときは「いったん口を閉じないと話は聞かない」と宣言して静かになるのを待ちます。

 

順番に話ができるようになると別の効果も生まれます。相手の言葉を聞くようになるのです。大人同士でもそうですが、感情的に熱くなっているときは相手の話を聞いていません。冷静になってから聞くと、自分だけが正しいわけではないということに気づきます。

 具体的な事例

ある時、いつものごとく訴えが持ち込まれました。内容は妹が姉を叩いたというもの。姉は6歳、妹は3歳です。妹は先に姉が手を出したと主張しました。

 

そもそもの原因まで話を聞くと姉が自分の思うように妹を動かそうとして手を引っ張り、妹が起こって叩き、姉がさらにやり返したということのようでした。それを聞き出すまでは辛抱強く大声合戦に耳を傾けます。

 

二人の気持ちが落ち着いたところでさっきのルールを適用し交互に喋らせました

 

二人の主張を聞いた上で自分の考えを伝えました。姉には、妹が嫌だと言ったら無理強いしてはいけないこと、妹には叩いたらダメだということを言い聞かせました。双方納得したところで仲直りの握手をしてもらいました。

 

その後は何事もなかったように二人で遊んでいました。話を聞いてもらったのがうれしかったのか、下の子がメダルを持ってきて首にかけてくれました

大人に求められることって何だろう

子供は大人たちに何を求めているのでしょう。自分が正しいと認めてもらうことだけでしょうか。おそらく違うと思います。もっと根本的には、自分に関心を持ってほしい、自分の方を向いてほしいという欲求ではないかと思うのです。

 

姉妹げんかにしても、いつも上の子が悪いわけではありません。悪い・悪くないの話をすれば、どちらとも悪いし、どちらとも悪くないと思います。それを単にジャッジしてほしいというだけではない気がします。

 

昔の家庭に比べると、家の中に両親と未婚の子供だけという核家族が当たり前になりました。この状態では大人は親だけしかいません。しかし、親も自分のことで手一杯の時もあるでしょう。そんな時に、子供たちの話を聞ける第三者の大人がいることはとても大事なことだと思います。

 

かつて、予備校に勤めていた時も塾の講師だったときも、子供たちは勉強に関係ないことをいろいろと話してきました。きっと、何かをしてほしいというよりも話を聞いてほしかったのでしょうね

 

きょうも、いつものようにはしゃぎまわっていました。今しばらくは騒々しくも平和な時が過ぎそうです。

 

最後まで読んでいただき、ありがとうございました。

白い恋人~想いでのお土産品~

こんにちは。木彫りグマです。

寒い日が続く北海道です。いっそ本物の熊のように冬眠したいくらいですが、そうもいかないですよね。

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さて、今回のテーマは抜群の知名度を誇る白い恋人です。木彫りグマにとっては子供の頃から親しんできたお菓子です。

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 白い恋人の思い出

 今よりも流通事情がよくなかった時代、ご当地のお土産は入手しにくかったです。

 

生物はもちろんのこと、お菓子でもなかなか買えませんでした。もちろん、空港や駅では売っていたと思いますが、なにせ子供なので遠出して買うことはできません。六花亭のお菓子も白い恋人も特別なお菓子でした。 

ラング・・シャ

 白い恋人は甘くて柔らかいクッキーが特徴的でした。当時は菓子についての知識はほとんどなかったのですが、しっとりとした食感は口当たりがとてもよく、つい、何個も食べてしまいます。

 

ラング・ド、シャはフランス語で猫の舌を意味する言葉です。本来は細長いクッキー。口の中で溶けるような食感が特徴です。白い恋人が発売された当初はあまり多くなかったかもしれません。

 

歯ごたえがあるラング・ド・シャがお好みならミスターイトウのラング・ド・シャもいいですよね。セブンイレブンのもおススメですよ。 

 

白い恋人の場合はラング・ド・シャに加えてホワイトチョコの甘さも魅力的です。子供のころは、「こんなに甘くておいしいお菓子があるんだ」と感動してしまいました。白い・口どけなめらか・甘いホワイトチョコが三位一体となって口の中に広がり、幸せなひと時を過ごしたものです。

お土産として定番なのは何故?

白い恋人は美味しいお菓子ですが、北海道には他にもお土産にふさわしいお菓子はたくさんあります。ラング・ド・シャのお菓子もこれまたたくさんあります。なぜ、石屋製菓白い恋人が突出して有名なのでしょうか。

 

一番の理由はネーミングセンスの良さだと思います。

 

白は北海道に降る雪を象徴。恋人は甘さを表してくれます。白い恋人=白くて甘いお菓子という図式が成り立ちやすいと思うのです。北海道民にとって雪は厄介者です。ですが、道外の人にとって、特に、雪が少ない地方の人にとっては「THE 北海道」のイメージを持たせてくれます。

 

また、味が美味しいという人も多いです。私の前の職場では、白い恋人は断トツの人気がありました。手軽に食べることができる大きさなのもよいのでしょうね。中には、お金を出すから箱で勝ってきてほしいと頼む同僚もいました。

 

白い恋人だけじゃない! 石屋製菓の「美冬 

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いかにおいしくても、いつも白い恋人ではさすがにつまらない。

 

そう思ってお土産を探しているときに目に飛び込んできたのが「美冬」でした。

最初は名前に惹かれました。

 

でも、美しい名前は味に対する期待のハードルを上げます。これで、いまいちだったら、お土産としてどうなのと思われてしまいます。

 

美冬はミルフィーユ状のパイ生地とチョコレートが交互にサンドされたものを、さらにチョコレートでコーティングしたお菓子です。

 

食感はサクサク。でも、表面のチョコレートと挟まれているチョコレートが一緒に食べることで混ざり合い、味の深みを増します。それもそのはず、挟まれているチョコレートには最も相性が良いとして選んだものが混ぜられています。

 

ホワイトチョコレートにはマロン、ブラックチョコレートにはブルーベリー、ミルクチョコレートにはキャラメルがそれぞれフィリングされているのです。個人的なおすすめはブラックチョコレートとブルーベリーのコンビ。ほろ苦さと酸味が絶妙だと感じました。

 

さっそく、お土産として購入し職場で配ったところ大好評

 

定番以外であたると、すごくうれしい気持ちになります。

白い恋人以外のお土産として、候補に入れてもいいと思います。

 

これからも、北海道土産を継続して取り上げます。

 

最後まで読んでいただき、ありがとうございました。

 

平成30年史 平成三(1991)年編

こんにちは。木彫りグマです。

 

今日取り上げるのは激動の平成3年(1991年)です。

 

当時、中学生だった木彫りグマがよく覚えているのは地理の授業で配布された地図帳が新しいものに差し替えられて再配布されたことです。

 

子供のころから、映画などで親しんできたアメリカVSソ連という冷戦が完全に終わるだけではなく、まさか、ソ連がなくなってしまうとは思いもよらないことでした。

 

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ソビエト連邦の崩壊

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このころ、ソ連がらみのニュース映像と言えば「モスクワ 赤の広場」からの中継と相場が決まっていました。赤と言えば社会主義を象徴する色。視聴者に社会主義国からの中継だと印象付けたかったのかもしれませんね。

 

このころのソ連はグダグダの極みでした。

ゴルバチョフが掲げたペレストロイカはうまくいかず、ラトビアエストニアリトアニアバルト三国国民投票ソビエト連邦からの独立の意思を示していました。

 

これらに対するゴルバチョフの対応を「甘い」と見たソ連内の保守派が8月にクーデタ。クーデタそのものは失敗しましたが、ゴルバチョフの力は目に見えて低下していきました。

 

1991年の12月。ロシア共和国の大統領となったエリツィン独立国家共同体の成立を宣言。ここに、1917年から続いたソビエト社会主義共和国連邦は崩壊したのです。

 

大国の崩壊をリアルタイムで見たのはこの時が初めてでした。

中学生ながらに、「この先どうなるんだろう」とニュースに強い関心を寄せていましたね。

湾岸戦争

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1990年、フセイン大統領率いるイラクが隣国のクウェートに侵攻し、併合を宣言しました。冷戦の時代、アメリカとソ連という二大強国がにらみを利かせていたこともあり、それ以外の国が大胆な戦争を起こすことは希でした。

 

ソ連の崩壊により力のバランスが崩れていた状況をフセインが利用しようとしたのです。しかし、フセインの読みは甘かった。ソ連はなくなってももう一つの強国であるアメリカは石油資源が豊富なクウェートイラクが併合するということを黙って見過ごすわけがなかったのです。

 

湾岸戦争は衛星中継で戦局が報道される戦争でした。イラクの首都バグダッドへの空襲の映像、多国籍軍クウェートに侵攻する映像、戦闘直後の戦場の様子など生々しい映像も流れました。

 

戦争はわずか100時間でアメリカを中心とする多国籍軍の勝利に終わりました。しかし、湾岸戦争アメリカ軍がサウジアラビアなどに駐留することにウサマ・ビンラディンが反発。アメリカへの戦いをよびかけ、現代まで続くアル・カーイダが生まれました

雲仙普賢岳の噴火

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雲仙普賢岳の噴火の様子も衝撃的な映像でした。それまで、噴火と言えば、山頂から煙が噴き上げるものだというイメージを抱いていました。ところが、この時は火砕流が山体を駆け下っていくタイプの噴火です。

 

濛々とした黒煙が周囲を飲み込んでいく様子は圧倒的ですらありました。火砕流とは、火山噴火の時に高温のガスや火山灰などが一塊になって斜面を落下する現象です。日本では62年ぶりに観測されたとのことでした。

 

イタリアにある火山灰に埋もれた都市ポンペイ地震→噴火→火砕流の被害に立て続けに見舞われて壊滅しました。普賢岳火砕流でも多くの人がなくなっています。自然災害の恐ろしさを感じた映像でした。

千代の富士引退と若貴フィーバー

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昭和の後半に活躍した大横綱千代の富士。木彫りグマにとって、強い横綱といえば千代の富士でした。北海道の福島町出身。力士の中ではとても「イケメン」で、男女問わずとても人気がある横綱でした。

 

国民栄誉賞も受賞するなど、昭和を代表する横綱となった千代の富士でしたが、新しい世代の台頭に直面します。それが、若乃花貴乃花の兄弟でした。のちに兄弟で横綱に昇進する二人でしたが、当時は巨人、千代の富士に挑戦する若者。

 

貴乃花(当時は貴花田)との取り組みや翌日の貴闘力との取り組みで敗れた千代の富士は「体力の限界」を悟って引退。この時は、道民の、しかも近隣の街出身の力士の引退とあって、とても残念だったことを覚えています。

カルピスウォーター

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カルピスは、子供のころから親しみのある飲み物でした。夏場に、家に帰って氷の入ったコップにカルピスの原液を入れて薄めて飲む。夏の風物詩でしたよ。ただ、いちいち原液を薄めなければならないのが面倒だなと思っていました。

 

そんな時に現れたのがカルピスウォーター。あ、なるほど。最初からちょうどよく薄めて売るのもありなんだなと思いましたね。今では当たり前に売っていますが、当時はちょっとした衝撃でした。1991年だけで2050万ケースを出荷する飲料市場空前の大ヒット商品となりました。さわやかなCMも話題になりましたね。

 

ちなみに、カルピスは僧侶出身だった三島海雲という人が製造をはじめた乳酸菌飲料です。世界で初めて大量生産に成功した乳酸菌飲料でもありました。カルピスに「初恋の味」というキャッチフレーズを付けたのも三島です。

牛肉オレンジ輸入自由化

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冷戦の終結を前に、貿易の分野では輸入自由化が進んでいました。

 

生鮮食料品で一番最後に自由化されたのが牛肉・オレンジです。牛肉では和牛の農家が、オレンジではミカン栽培の農家が激しく反対していました。

 

北海道に住んでいると農産物のニュースが取り上げられることが多いです。特に、牛肉については、今後大きな影響があると報じられていました。

 

もっとも、どちらも輸入で壊滅することはありませんでした。輸入されることが前提となり、農家も品質向上に努めたからでしょう。今も、和歌山のみかんを食べながら記事を書いています。木彫りグマはオレンジよりもミカンが好きです。これのおかげで風邪をひかないと信じているくらいです(笑)

 

次回はバブル崩壊と平成不況が本格的に始まる平成四年の記事をお届けします。

 

最後まで読んでいただき、ありがとうございました。